境内地図

御祭神

少名比古那神(すくなひこなのかみ)

御由緒

 御祭神の少名比古那神(すくなひこなのかみ)は神産巣日神(かみむすびのかみ)の御子で手俣(たなまた)からお生まれになったという小さな神さまですが、神代の昔、大穴牟遅科神(おおあなむちのかみ)すなわち大国主神(おおくにぬしのかみ)と共に心を一にし力を戮(あわ)せて此の日本の国土を御経営(おつくり)になり、人々だけで無く、鳥や蓄(けもの)に至るまで諸病を治す薬方をお定めになると共に裁縫の道を広められた、いわゆる医薬・裁縫の親神さまと称えられる御神徳の高いお神さまであらせられます。
 一説によると「天照大御神(あまてらすおおみかみ)の女(むすめ)で、住吉大神(すみよしのおおかみ)の后(きさき)になられた『あはしまさま』が婦人病を患ったため海に流されてしまう。お嘆きになったあはしまさまは、『この悲しみから世の女性を救いたい』と仰せになり『紀州加太』に祀られた。」とあります。
 この淡島さまの祭日が三月三日であったことから雛祭り(ひなまつり)とも結びつき、淡島を祈れば婦人病に罹(かか)らず丈夫な子を授かると信じられたのです。 淡島神社の月例祭が三の日に行われるのも、これに起因しているのでしょう。
 要するに、淡島さまは正装でお参りする面と、普段着で親しくお参りできる面の両面相俟(あいま)って中世末から近世にかけて、その信仰は全国各地に広まって行ったのです。

 

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